
どうも!コマサトです( ´ ▽ ` )ノ
僕が以前働いていた会社では
「ちょっとしたことでも叱らないと躾になんねぇだろ!?」
「だからお前は他のやつらに嘗められてんだよ。」
と、「人をなるべく叱らない」という僕の行動は毎日の如く上司から怒られておりましたww
そうは言っても、僕は人を「叱る」ことが大嫌いです。
「教育」とか「躾」とか、上から目線の単語を使ってる時点で気持ち悪いとさえ思ってます。
ペットじゃねぇんだから(^_^;)
なので、ここで声を大にして言っておきましょう。
「叱る」だけではちっとも躾になりません。
ただ「叱って」も、何一つ教育にはなりません!
『叱る』ことでは人を教育することなんて出来ない!
僕は今現在「コンサルティング」を仕事の一つでやってますので、
ビジネス教育者であると言えます。
僕はコンサル生の方には「自分で稼げる力を身に付けた人材」、
つまり、会社という【雇われから自立した人材】になってほしい為に教育しています。
そんな僕からみた「人を教育すること」について一つ述べたいのは、
【手当たり次第に叱ることは、なんの教育にもなっていない】
ということ。
昔からの日本人の風潮なのでしょうか、、
今の職場環境でも「怒る・叱る」=「教育・躾」とみなされているところが非常に多いです。
なもんで、ちょっとしたことでもすぐ叱ります。
しかし、言っておきます。
その考え方の教育方法では【自立した人材】は決して育ちません。
嫌々ながら命令を聞くだけの、やる気のない奴隷のような人達が育つだけです^^;
(なんの責任も向上心もない人達のことですね)
「とにかく叱る」という行為は、そういったやる気のない人達を増加させます。
教育にも何にもなっていないからです。
教育とは愛を持って「見せ続けること」
素晴らしい教育者とは愛をもって教え子と接します。
師匠は弟子に、自分の技を伝承し、
超えて欲しいからこそ時に厳しく・叱りつけながら教育するでしょう。
でもそこには『愛』があるはずです。
自分の子供に向けるような『愛情』が込められているはずなんです。
でなければ、親身になって技を教えたりしませんよ^^;
それ故に、
正しい教育者は総じて「信頼と尊敬」をもたれています。
だからこそ、その「叱ること」には意味がありますし、厳しさの中に「愛情」が感じられるんです。
教え子は、
『この人は自分の事を想って叱ってくれてるんだ』
と教育者の意図を汲み取り、正しい解釈をしてくれるんです♪
例えて言うと「アントニオ猪木」さん!
彼はとても厳しいレーニングをすることで有名な元プロレスラーですが、
同業者やファンからはめちゃくちゃ信頼&尊敬されています^^
もはや「崇拝」といっても過言ではないでしょう。笑
その「アントニオ猪木」の代名詞とも言える「闘魂注入ビンタ」
これは今や、一般人の方たちにも振る舞われるようになりました( ´ ▽ ` )
あのビンタ。。
何も知らずに見たら「ただの暴力」ですよね(^^;)wwww
でも、ビンタされた方は
「ありがとうございます!!」
「気合が入りました!!」
と感謝するんです。
猪木さんは多くの方から「信頼や尊敬」されているからこそ、
その「暴力ともいえる行為」が『愛情あるもの』に変わるわけです。
「信頼や尊敬」がある人の「正しく怒る・叱る」は、受け手にちゃんと伝わるんです♪
結局何が言いたいかというと
「教育する立場の人が『信頼や尊敬』される人物でなければ、
叱ることは教育にはなりえないってことです。」
この意識、すんごく大事です(*^^*)
猪木さんも、教育者になる前はいちプロレスラーとして最前線で戦ってきた男です。
だれよりもプロレスを愛し、
だれよりも過酷なトレーニングをこなし、
多くの人達と死闘を繰り広げてきたんです。
そんな一生懸命な人物だから、
多くの人から『信頼&尊敬』される男になったのではないでしょうか?
そんな素晴らしい人からの「叱り」だから、
多くの人が『ありがとうございます』といって感謝するんじゃないでしょうか??
なんの魅力もない口だけの人が、
ただ自分の身勝手な考えで叱っても、そんなの嫌われるだけですよww
相手には負の感情しか伝わりません。
口先だけにならず、実際に手本を見せ続けてあげることが大切なんです。
相手にとって【信頼できる存在】になる。
そしてその姿を「見せてあげる」ことの方が、叱ることよりもよほど高い教育になるんです。
教育とは『まずは自分がやる』という意識から。
それを見て、信頼を覚えた人に対してだけ「言葉での教育」が成り立つんです。
いつも率先して、自ら行動し体現する。
そんな「周りを自然と引っ張る教育者」を目指していきたいですね( ´ω` )
最後までありがとうございました♪
今回はこの辺で( ´ ▽ ` )ノ